PR

【ブギウギ】ゴンベエさん桃入手の謎!桃缶がダメだった理由!

当ページのリンクには広告が含まれています。

ブギウギの第12回でごんべえさんが出した桃の謎について、話題になってます。

ゴンベエさんは桃をどこから用意したのでしょう?

また、なぜ桃の缶詰の選択肢がなかったのか、あんなに探し回っても桃が無いかもしれないとなれば、桃の缶詰でもよかったのでは?と思った方も多いはず!

そこで、桃缶はいつから日本に登場したのかも調べてみました!

関連記事:ブギウギ桃色争議の寺はどこ?撮影で壊れた重文の箇所はココ!(写真あり)>>

ブギウギ公式サイト>>

目次

ゴンベエさんの桃は「岡山の桃」説

ツイッターでは、大阪が舞台ということで、岡山の桃では?という考察もありました。

岡山の桃なら可能性があるかもしれない、ということで、謎が明かされるのが楽しみですね。

ところで、純粋に桃の缶詰があるのでは?どうしてもないなら桃缶でもありだったのでは?と思ったりもしたので、そのへんを探ってみました。

桃の缶詰は日本ではいつから?

戦後にいろんな果物の缶詰が出たということで、おそらく桃缶はなかった

ミカンの缶詰は、大正時代に外皮を除いた丸のままのミカン2個をシロップ詰めにしたものが作られるようになり、これがやがて業務用のミカン缶詰となって現在に至っていますが、現在のようにさまざまなフルーツ缶詰が作られるようになったのは、戦後になってからのことです

住吉屋公式サイト

戦後にいろんな果物の缶詰が出たということなので、おそらく桃缶はなかったのでしょうね。

缶詰で有名なサンヨーでも調べてみました。

サンヨーは1941年誕生したそう。

他の缶詰会社の情報が得られなかったのではっきりしませんが、1926年(大正12年)の設定のブギウギの時代には、やっぱりまだ缶詰は出てない可能性が高そうです。

弊社が誕生したのは1941年6月。そのわずか数ヶ月後、日本機動部隊がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が勃発したのでした。
日本全体が飢え、原材料の調達もおぼつかない食糧難の戦時下、やむなく缶詰業を一時休止し、軍糧秣省の監督工場となり、味噌・米飯・野菜等の携帯追送糧秣を製造していました。

サンヨー公式サイト

終戦後の昭和23年、念願であった果実缶詰の製造を再開することができました。その後、海外への輸出、協力工場との提携など精力的に企業規模の拡大を図り、今日の会社の礎を築いていきました。

サンヨー缶詰公式サイト

昭和23年(1948年)に果実缶詰が再開、ということです。大正12年にはやはり果物の缶詰は存在してない可能性が高いようです。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

にほんブログ村

目次