ブギウギの第12回でごんべえさんが出した桃の謎について、話題になってます。
ゴンベエさんは桃をどこから用意したのでしょう?
また、なぜ桃の缶詰の選択肢がなかったのか、あんなに探し回っても桃が無いかもしれないとなれば、桃の缶詰でもよかったのでは?と思った方も多いはず!
そこで、桃缶はいつから日本に登場したのかも調べてみました!
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ゴンベエさんの桃は「岡山の桃」説
ツイッターでは、大阪が舞台ということで、岡山の桃では?という考察もありました。
ゴンベエさんの桃🍑
— おにぎりの鮭8820 (@moonlight8819) October 12, 2023
まぁ大阪が舞台だし、普通に考えたら岡山県近辺の桃やろね🤔
岡山県近辺ならギリ9月でも桃はあるし、ゴンベエさんは、お寺のお供物とかを貰って来たんちゃうかな😅#ブギウギ
岡山の桃なら可能性があるかもしれない、ということで、謎が明かされるのが楽しみですね。
ところで、純粋に桃の缶詰があるのでは?どうしてもないなら桃缶でもありだったのでは?と思ったりもしたので、そのへんを探ってみました。
桃の缶詰は日本ではいつから?
戦後にいろんな果物の缶詰が出たということで、おそらく桃缶はなかった
ミカンの缶詰は、大正時代に外皮を除いた丸のままのミカン2個をシロップ詰めにしたものが作られるようになり、これがやがて業務用のミカン缶詰となって現在に至っていますが、現在のようにさまざまなフルーツ缶詰が作られるようになったのは、戦後になってからのことです
住吉屋公式サイト
戦後にいろんな果物の缶詰が出たということなので、おそらく桃缶はなかったのでしょうね。
缶詰で有名なサンヨーでも調べてみました。
サンヨーは1941年誕生したそう。
他の缶詰会社の情報が得られなかったのではっきりしませんが、1926年(大正12年)の設定のブギウギの時代には、やっぱりまだ缶詰は出てない可能性が高そうです。
弊社が誕生したのは1941年6月。そのわずか数ヶ月後、日本機動部隊がハワイの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が勃発したのでした。
サンヨー公式サイト
日本全体が飢え、原材料の調達もおぼつかない食糧難の戦時下、やむなく缶詰業を一時休止し、軍糧秣省の監督工場となり、味噌・米飯・野菜等の携帯追送糧秣を製造していました。
終戦後の昭和23年、念願であった果実缶詰の製造を再開することができました。その後、海外への輸出、協力工場との提携など精力的に企業規模の拡大を図り、今日の会社の礎を築いていきました。
サンヨー缶詰公式サイト
昭和23年(1948年)に果実缶詰が再開、ということです。大正12年にはやはり果物の缶詰は存在してない可能性が高いようです。