笠置シズ子と美空ひばりが対立していたというのは本当でしょうか。
美空ひばりは笠置シズ子の前座を務めていて当時はまだ子供でした。
そんな二人が対立していたという理由はなんだったのか、詳しく探ってみました。
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美空ひばりは「セコハン娘」のモノマネで有名に
美空ひばりは笠置シズ子の「セコハン娘」のモノマネで有名になりました。
笠置シズ子「セコハン娘」の「セコハン」の意味とは?
笠置シズ子さんの代表曲「セコハン娘」。
このタイトルの「セコハン」というのは英語の「second hand(セコンドハンド)」から来ています。
「second hand(セコンドハンド)=中古」という意味ですね。
ですので笠置シズ子さんの「セコハン娘」は直訳すると「中古娘」ということになります。
歌詞の中に「私の姉さんのお古ばかり だから私はセコハン娘」とあります。
(引用 笠置シズ子 セコハン娘)
まさに「お古=中古」ということですね。
笠置シズ子「セコハン娘」はなぜヒットした?理由は?
笠置シズ子さんの「セコハン娘」がなぜヒットしたかはその当時の時代背景が関係します。
「セコハン娘」の発売時の時代背景
「セコハン娘」が発売されたのは1947年。
終戦を迎えたのは1945年です。
1945~1952年まではGHQに支配されていた時代で、当時はGHQから支給される物資で人々は細々と生活していました。
そんな時代背景を歌った歌こそが「セコハン娘」で、その歌詞に日本の悲哀が表されているところが人々の心に響いたのでしょう。
笠置シズ子と美空ひばりは対立や不仲の噂の理由
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美空ひばりが当時、女の子が低音ボイスで「こんな女に誰がした」と歌う姿は観客にはウケて話題となっていました。
笠置シズ子の「セコハン娘」のモノマネで有名になった美空ひばりですが、昭和23年10月に笠置シズ子と横浜国際劇場で同じ舞台に立ったときは美空ひばりは笠置シズ子に可愛がられて写真を一緒に撮ったりしているようです。
しかしその後、日劇の舞台で笠置シズ子の「ヘイヘイブギ」を歌う許可を事前にもらっていたにも関わらず、笠置シズ子側から直前で禁止されたそう。
その後笠置シズ子と美空ひばりにアメリカ公演の話が来ています。
ところが、美空ひばりが笠置シズ子より先にアメリカ公演が予定された笠置シズ子側が自分の歌を歌うのを美空ひばりに禁じたといういきさつがあります。
先にアメリカで美空ひばりに歌われては後手に回る形となる笠置シズ子側が自分の歌を歌うことを禁じたというわけです。
ただアメリカには日本の法律は及ばないとその禁止を破って美空ひばりは笠置シズ子の歌を歌いました。
これらのことがもとで笠置シズ子と美空ひばりは関係が悪化しているようです。
後に和解をしたようですが、表面上だけで実際には心情的には和解しきれていなかったようですね。
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